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2017年10月3日 更新
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県指定文化財
市内にある県指定文化財18件をご紹介します。
きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ はいでんおよびへいでん
北口本宮冨士浅間神社 拝殿および幣殿 附石垣・本殿瑞垣および恵毘寿社
種別:有形文化財(建造物)
名称:きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ はいでんおよびへいでん つけたりいしがき・ほんでんみずがきおよびえびすしゃ
指定年月日:平成21年2月16日
所在地:富士吉田市上吉田5558
所有者:北口本宮冨士浅間神社

 本殿の前面に付属する建物として、元和元年(1615)に鳥居成次によって本殿とともに造営されました。慶安2年(1649)には秋元冨朝によって本殿とともに修復が加えられ、享保19年(1734)から寛延4年(1751)まで村上光清を中心とした富士講中によって修復がなされ、今日にその姿を残しています。
きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ かぐらでん
北口本宮冨士浅間神社 神楽殿
種別:有形文化財(建造物)
名称:きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ かぐらでん
指定年月日:平成26年2月17日
所在地:富士吉田市上吉田5558 
所有者:北口本宮冨士浅間神社

 神楽殿は、本殿の正面に位置し、本殿に向かって神楽を奉納することになります。元文元年(1737)に村上光清を中心とした富士講中による境内建物大修理の一環で建立されたものです。富士山御師により継承されてきた太々神楽が奉納される舞台であり、現在でも神社の祭礼には地元の神楽講により太々神楽が奉納されています。
北口本宮冨士浅間神社 手水舎 附棟札一枚
種別:有形文化財(建造物)
名称:きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ てみずしゃ つけたりむなふだいちまい
指定年月日:平成26年2月17日
所在地:富士吉田市上吉田5558 
所有者:北口本宮冨士浅間神社

 延享2年(1745)に建立されました。本殿、東宮、西宮と並ぶ彫刻類の多さや、富士山の溶岩から削り出された巨大な水盤石と四本の柱など、村上光清らによる大修理に相応しい作りです。水盤石に立つ青銅の龍の口からは、富士信仰の霊場である富士八海の一つ、泉水から引き込んだ霊水が、現在も絶え間なく溢れ出ています。
きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ しゃむしょ
北口本宮冨士浅間神社 社務所 附棟札一枚
種別:有形文化財(建造物)
名称:きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ しゃむしょ つけたりむなふだいちまい
指定年月日:平成26年2月17日
所在地:富士吉田市上吉田5558 
所有者:北口本宮冨士浅間神社

 寛保元年(1741)の建立です。唐破風の玄関が神社建築らしさを表すことを除いて、素朴な建物です。一部改造はありますが、間取りは市内に所在する御師住宅と類似しており、この流れの建物と考えられます。文献では「斎浄所」、「清浄所」、「御供所」等とあり、時代によって区々の呼称が用いられていました。現在は、社務所となっています。
きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ ずいじんもん
北口本宮冨士浅間神社 随神門 附棟札一枚
種別:有形文化財(建造物)
名称:きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ ずいじんもん つけたりむなふだいちまい
指定年月日:平成26年2月17日
所在地:富士吉田市上吉田5558 
所有者:北口本宮冨士浅間神社

 元文元年(1736)の建立です。永正17年(1520)の銘のある随神像が存在することなどから、村上光清らにより新たに再建されたものと推定されます。彫刻意匠が多く装飾性に富んだ建物で、屋根裏天井により演出される広がりのある空間と太い柱は参詣者に豪壮な雰囲気を与え、当社の入口を飾るに相応しい門です。
きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ ふくちはちまんしゃ
北口本宮冨士浅間神社摂社 福地八幡社 附棟札二枚
種別:有形文化財(建造物)
名称:きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ ふくちはちまんしゃ つけたりむなふだにまい
指定年月日:平成26年2月17日
所在地:富士吉田市上吉田5558 
所有者:北口本宮冨士浅間神社

 貞享元年(1684)に建立、元文5年(1740)に村上光清らが改修した経緯をもち、建築技法的にも両時期の要素を併せもちます。貞享期の建立は、その規模や構造の類似から東宮本殿をモデルとして行われたようです。身舎の軸部や扉の装飾等は貞享期の仕事ですが、向拝や妻飾り等の彫刻は元文期の改修によるものです。
きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃせっしゃ すわじんじゃはいでん
北口本宮冨士浅間神社摂社 諏訪神社拝殿
種別:有形文化財(建造物)
名称:きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃせっしゃ すわじんじゃはいでん
指定年月日:平成26年2月17日
所在地:富士吉田市上吉田5558 
所有者:北口本宮冨士浅間神社

 諏訪神社本殿は昭和2年に焼失し、同51年に再建されました。本殿は元文元年(1736)に村上光清らにより建立されたとの棟札がありますが、拝殿については明確な記録がありません。ただ、建築様式は元文期前後のものであり、村上光清の大修理時における建立とみられます。なお、諏訪神社は浅間神社創建以前からこの地に祀られていた歴史があります。
ゅうみやしたけじゅうたく
旧宮下家住宅
種別:有形文化財(建造物)
名称:きゅうみやしたけじゅうたく
指定年月日:昭和58年12月7日
所在地:富士吉田市上吉田2288-1 ふじさんミュージアム(富士吉田市歴史民俗博物館)
所有者:富士吉田市

 旧所在地は市内小明見で、平成2年に市歴史民俗博物館に移築復原しました。面積は約36坪(118.8u)、木造平屋建、茅葺入母屋造の民家で、建築年代は、間取りの形式や外回りの閉鎖的な構え、低く密に立つ柱の配置、梁組と構法などから、18世紀初頭か、それをやや遡るころと推定されています。
もくぞうしゃかにょらいりゅうぞう
木造釈迦如来立像
種別:有形文化財(彫刻)
名称:もくぞうしゃかにょらいりゅうぞう
指定年月日:昭和39年11月19日
所在地:富士吉田市上吉田7-7-1
所有者:西念寺

 西念寺は行基の開創と伝わる古寺で、永仁6年(1298)、遊行二祖の他阿真教が甲斐教化の際に滞在して念仏の教えを広めたことで時宗に改めたといいます。本像は、富士山一合五勺にあった西念寺塔頭の定禅院の本尊であったとされます。また、富士山頂の薬師如来を勧請したとの伝承もあり、安政2年(1855)に奉納された篇額に「八葉峰中薬師如来」とあるのもそのことに由来します。
 本像の構造は、内刳りのある桧材の寄木造で、玉眼を嵌入、眉間の白毫は金属製で、像高は80cmあります。現在は宝珠を持ち、薬師如来の印相を結びますが、手や持物は後に改変されたもので、造立当初は釈迦像でした。縄状に巻いた頭髪、通肩にまとい頸を中心とした同心円状の衣文を表す衣、三段にまとめた裾など清涼寺式釈迦像の特色をそなえています。
 この清涼寺式釈迦像は、中国(宋)に渡った東大寺の僧「然が永延元年(987)の帰国にあたって持ち帰った京都市清涼寺の像の模刻で、鎌倉時代に大流行しました。眦鋭く、やや厳しい相貌、細身ですらりとした造形は若々しさを感じ、鎌倉時代の秀作の名にはじません。
どうぞうにょらいぎょうりゅうぞう
銅造如来形立像 附延享四年状1通
種別:有形文化財(彫刻)
名称:どうぞうにょらいぎょうりゅうぞう つけたりえんきょうよねんじょういっつう
指定年月日:平成5年11月29日
所在地:富士吉田市上吉田38
所有者:上行寺

 本像は、銅製で台座から高さ12.8p、像の高さ9pの小型の金銅仏で、現状では台座の一部に鍍金が認められるだけです。衣が両肩にかかり、右手を上に左手を下にし、目は伏せ、鼻や唇は小さく頬はふっくらしています。これらの特徴から、古代朝鮮の新羅時代、すなわち8世紀初めの作と推定されています。江戸時代には、富士山吉田口登山道の五合五勺の経ヶ岳に安置されていました。
ふどうみょうおうぞうみしょうたい
不動明王像御正体
種別:有形文化財(工芸)
名称:ふどうみょうおうぞうみしょうたい
指定年月日:平成27年2月5日
所在地:富士吉田市上吉田2288-1 ふじさんミュージアム(富士吉田市歴史民俗博物館)
所有者:富士吉田市教育委員会

 この不動明王像御正体(懸仏)は、昭和60年に富士山八合目で発見されました。昭和61年8月1日に市指定文化財に指定、平成27年2月5日に歴史的価値等を評価され県指定となった。
 中央には台座に座る8p程の不動明王が鋳出され、その周囲に銘が刻まれています。それによると、文明14年(1482)に総州(千葉県)の木更津の源春という人物が富士山に八面奉納したうちの一面であることがわかります。中世の富士信仰の資料として極めて貴重なものです。
刀 大磨上 無銘 伝山城国来国真
種別:有形文化財(工芸品)
名称:かたな おおすりあげ むめい でんやましろのくにらいくにざね
指定年月日:昭和45年12月23日
所在地:富士吉田市
所有者:個人


 「来(らい)鍛冶」は、京都山城国西ヶ岡に住し、質実剛健の気風を製作面に反映する鍛刀術に優れ、公卿や朝廷護衛の武士に好まれ隆盛を極めました。また鎌倉幕府の御用鍛冶もつとめ、代々名工が続き、一門は大いに繁栄しました。この刀は、鎌倉時代、来国真の手になるものと伝えられ、一門を代表する重要な刀となっています。
さいほうじみだしゅじいたび
西方寺弥陀種子板碑 附西方寺弥陀種子板碑一基
種別:有形文化財(考古資料)
名称:さいほうじみだしゅじいたび つけたりさいほうじみだしゅじいたびいっき
指定年月日:昭和62年12月2日
所在地:富士吉田市小明見2058
所有者:西方寺

 板碑は一種の卒塔婆で、鎌倉中期から江戸時代にかけて、供養塔として盛んに造立されました。西方寺の板碑は2基あり、弥陀種子が彫られています。大きい方は鎌倉時代の弘長元年(1261)に作られたもので、高さ91p、緑泥片岩製。小さい方は、高さ43.5pで玢岩でできており、延文6年(1361)の銘があります。2基とも、市内向原(むかいばら)地区の東方にある西方寺旧地の土中にうもれていましたが、大正12年(1923)の関東大震災の土砂崩れによって発見されたものです
じきぎょうみろくのおみぬきおよびぎょうい・のばかま
食行身禄の御身抜及び行衣・野袴
種別:有形民俗文化財
名称:じきぎょうみろくのおみぬきおよびぎょうい・のばかま
指定年月日:昭和36年12月7日
所在地:富士吉田市上吉田2288-1 ふじさんミュージアム(富士吉田市歴史民俗博物館)
所有者:富士吉田市

 食行身禄は、寛文11年(1671)伊勢国に生まれ、17歳で富士行者になり、享保18年(1733)に、人々の苦しみを救うことを目的に、富士山北口七合目の烏帽子岩において、断食修行31日の後入滅しました。御身抜は食行身禄の信仰を表現した文言を記したものです。行衣・野袴は、身禄が富士登拝の際に着用したものです。
あいぞめしりょう
藍染資料
種別:有形民俗文化財
名称:あいぞめしりょう
指定年月日:昭和39年2月20日
所在地:富士吉田市
所有者:個人

 江戸中期から木綿が普及し藍染めが発達するにつれ、専門の紺屋が出現し隆盛を極めました。近代になり、化学染料の普及で天然藍が消滅に近い状態の中、当時の工場、用具の他、藍甕41個、藍玉3俵、型紙638枚、掛軸2幅、看板2枚、染物組合問屋の印1個、関係古文書1冊と、多くの貴重な資料が保存されています。
きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃのだいだいかぐら
北口本宮冨士浅間神社の太々神楽
種別:無形民俗文化財
名称:きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃのだいだいかぐら
指定年月日:平成4年6月22日
所在地:富士吉田市上吉田5558
保持団体:北口本宮冨士浅間神社神楽講

 「太々神楽」は、古くは富士山御師によって継承されていましたが、明治中期、地元崇敬者で組織する神楽講に受け継がれています。内容は、榊の舞、神巫の舞、四方拝の舞、猿田彦の神の舞、鈿女の神の舞、手力男の神の舞、天照皇大神の舞、綿津美の神の舞、稲荷大神の舞、片剣の舞、両剣の舞、蟇目の舞の十二座です。
下吉田の流鏑馬祭
種別:無形民俗文化財
名称:ふしもよしだのやぶさめまつり
指定年月日:平成29年9月7日
所在地:富士吉田市下吉田3-32-18
保持団体:下吉田の流鏑馬保存会

流鏑馬は、古くは富士登山道の馬返付近のリュウガ馬場で勝山・下吉田の氏子が奉納したのが始まりといわれています。流鏑馬の奉仕者には、古来より1年を通じ厳しい物忌の掟があり、さらに9月19日の祭の前7日間は別火精進の生活をします。この流鏑馬の特徴は、馬の走った蹄の跡を占人が見て町の吉凶を占うところにあります。
冨士浅間神社の大スギ
種別:天然記念物
名称:ふじせんげんじんじゃのおおすぎ
指定年月日:昭和33年6月19日
所在地:富士吉田市上吉田5558
所有者:北口本宮冨士浅間神社

 北口本宮冨士浅間神社の拝殿前向かって左側に立っており、推定樹齢は約千年です。古代に神霊を招く聖域として、四隅に樹木を植えたものといわれています。同神社の神木として現存する3本のうちの1本です。本樹は、根廻り21m、幹根境の周囲12.7m、目通り幹囲8m、樹高30mで、幹は地上約10mから二支に分かれています。
本文終わり
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