富士講の紹介

富士山の富士講

富士山は仏さまと神さまの住む山として古くから信こうされてきました。この富士山への信こうがもっとも盛んとなったのが、江戸時代です。
当時、富士山を信こうし登山を望む人たちは、往復で一週間から一ヶ月はかかる旅の費用を用意する必要がありました。そこで、地域や仕事の仲間たちで毎日お金を集めて、くじに当たった代表者が、富士山に登る団体をつくりました。こうした団体を講といいます。そして、富士山に登る講の人々を、いつからか冨士講と呼ぶようになったのです。

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冨嶽三六〇

冨嶽三六〇とはクールジャパンアワード2017を受賞した、和紙で作られた富士山を三六〇度全方位から見られる巨大オブジェです。一日の時間の流れや季節の移り変わりによって、様々な表情を見せる富士山の姿を美しい照明演出、迫力あるサウンドスケープで表します。
クールジャパンアワードとは世界各国の外国人審査により、世界が共感する”クールジャパン”を発堀・認定するものです。

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胎内めぐり

富士山の溶岩が流れたことで木が焼けて空どうになりさらに内部が滑らかになっている洞くつがあります。これがまるでからだの内部のようなので胎内とよびました。そしてその中に入りくぐりぬけることで体が生まれ変わり、身を清められるとされました。これを胎内めぐりと言って、富士山の登山者の多くは登山前に胎内を訪れました。その一つである吉田胎内は埼玉県志木市出身の丸藤講の先達である星野勘蔵が1892年に発見したことで知られています。胎内は今も大切に守り継がれています。

御胎内と安産祈願

吉田胎内樹型をはじめとする富士山周辺に数多く残る胎内樹型は、御胎内と呼ばれ、富士講の信者や、地元の人々の信仰の対象であった。特に、医療が今ほど発達しておらず、お産には現在よりも危険が伴っていた時代、まるで人体の内部のような構造をした御胎内には、女性たちが訪れ安産の祈願をしたという。この御胎内は、時に産道のようにも見えるその形状から、水の神であり、噴火を鎮めるために富士山に祀られている木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)(安産の神、子育ての神でもある)が生まれた場所であるとも信じられていた。

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