いにしえより日本人は、ふんかをくりかえす富士山を神が宿る山として、畏れふんかを鎮めるために富士山の麓に浅間神社を建立しました。噴火活動が沈静化する平安時代後期になると富士山は、日本古来の山岳信仰と密教等が習合した「修験道」の道場となり,「富士山信仰の対象」は、2013年にunescoの世界遺産リストに登録されました。
船津胎内樹型は、富士山構成資産の一つとなっています。胎内樹型とは、「溶岩樹型」の別称で、溶岩樹型の内部が人間の胎内に似ていることからそのように呼ばれ,また信仰の対象ともなりました。富士講信者によって、今から340年ほど前の江戸時代、1673年に、富士講信者によって船津胎内樹型が発見され、神社が建てられたということです。
日本一と称される富士山に対する畏敬の念と崇拝の念は誠に古くからありました。神々しいまでのしゅうれいなすがたは神霊の宿るれいほうであり、一方いく度かの噴火を繰り返した荒々しい姿から火の神のもういが与える畏怖の山でありました。そして、人々の畏れの気持ちは、やがて山に祈ることで平安を招き人間の力では、到底こうしきれない大自然のきょういを神として、祀る信仰が生まれました。