富士山を題材にした文学・芸術 作品

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富士の女神コノハナサクヤヒメについて

みなさんは浅間神社を知っていますか。その神社でおまつりされているコノハナサクヤヒメは、女性の神様で富士の女神だそうです。
コノハナサクヤヒメは、山の花々の女神です。コノハナサクヤヒメには漢字があります。その漢字から、「山の花々の女神」ということがわかります。コノハナサクヤヒメの名前や姿にはある程度時代による変化があったと考えられています。他にもコノハナサクヤヒメに関する説はたくさんあります。みなさんも調べてみてください。

富士山 信仰の移り変わり

富士山への信仰は長い時をかけて移り変わっていきます。
まず、フジ アサマ センゲン センゲンダイボサツ コノハナサクヤヒメ と、信仰が変化しています。
浅間神社を センゲン,アサマ神社といいますが、アサマのほうが、古くセンゲンのほうは、あたらしいです。アサマを、漢字にあてると『浅間』になり音読みをするとアサマになるので二つのよびながつきました。

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琵琶湖の伝説

琵琶湖にまつわる,富士山の伝説です。
~~昔、神様たちが集まって日本一のやまを造ることにした。山は、静岡県東部~中部に造り土は、滋賀県から運ぶことにした。一晩のうちに、造ることになり力持ちの神様たちが、夕方から土を運び始めた。このときに、使ったのが縄を編んで作った、ハンモックのようなかごで、これに土を入れて運んだ。
神様たちがせっせっと土を運ぶと、地面に大きな穴ができた。ここに、水が流れこんで琵琶湖になったらしい。
ところが、あと一回土を運べば出来上がりというところで、ニワトリが鳴き朝になった。がっかりした神様がかごに入っていた土をこぼして運ばなかったので、富士山の頂上はとんがらずに平らになったのだ。こぼれた土は琵琶湖のすぐ近くにある近江富士(おうみふじ)(現在の三上山みかみやま)に、なったそうだ。~~
このように,たくさん富士山に関わる話はまだたくさんあるのでぜひ調べてみてください。

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絵画にみる富士山

富士山ほど数多くの画家にかかれた山はありません。なかでも有名なのが、葛飾北斎と歌川広重です。
「冨嶽三十六景」で知られる北斎は、富士山と人との関わりを豊かな想像力と見事な構図で表現し、「三十六景」とめい打ちながらそれだけでは、満足せず、「うら不じ」十図を加えた計四十六景を世に送り出しました。
対する広重は「東海道五拾三次」「名所江戸百景」で様々な場所から見える富士山をかいています。絵画にかかれた最古の富士は「聖徳太子」(平安時代)の絵といわれており甲斐の国、(今の山梨県)から贈られた名馬に乗った聖徳太子がたちまち富士山の頂上まで上っていく様が描かれています。
平安時代から鎌倉時代に、すでに富士山の形は「三峰型、万年雪」という定型が成立していました。近代でもっとも富士山をかいた横山大観は、独特の技法と構成で「群青富士」「日出処日本」など多くの富士山の絵を残しています。ほかにも、多くの画家により富士山は画かれ続けています。