富士山信仰

富士山の信仰と噴火の関係について

昔は、富士山が噴火するたび、そのあまりにも激しく噴き上げる火焔に、当時の人々は怒る神の姿を重ねていました。そこで富士山の見えるところに、「遙拝所」を設け、そこから、このはやさくやひめ 通称「浅間大神」に祈りを捧げるようになりました。あらぶる噴火により、富士山は神の住む島としてしたためられてきました。 

富士山信仰 じゅん拝

富士山進行のじゅん拝とは各地の社寺を参拝して回ることです。昔の人は、「自分の姿を富士山に見せるもの」だと思っていました。富士山が世界文化遺産に登録されたのもこの理由です。ところで、じゅん拝はなぜこのような名前なのでしょうか?。それは、じゅん拝の「じゅん」は漢字で書くと、「めぐる」と読みます。さらに「拝」は「おがむ」と読みます。つまり、名前は、じゅん拝を行う様子と、全く同じ意味で名前がつきました。
このように、じゅん拝という名前には、大きな意味があります。実は、富士山が世界文化遺産に、選ばれた理由がもう一つあります。それは、芸術です。これらが、合わさって富士山が世界文化遺産に登録されました。 富士山信仰は、このように大事な役割があります。富士山信仰・じゅん拝は、欠かせない存在なのです。

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富士山の信仰

遠くへだたった所から拝むことを遙拝といいます。昔の人々は、遠くから富士山を仰ぎ見て崇拝していました。構成資産の一つで、ある山宮浅間神社には、富士山を拝むための遙拝所が残っています。山宮浅間神社の遙拝所は、よう岩流の先たん部に、遙拝所の周囲にはよう岩石楽を用いた石墨がめぐっているのは当時のまま。遙拝所・内部の石列は主軸が富士山方向に向いています。

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登拝について

登拝とは、富士山の御神徳を拝しながら登山することです。その点において、富士山に初めて登ったときから現在に至るまで、登拝は続いています。 ふん火がおさまった平安時代末期には、山頂にし堂が建てられ、江戸時代には富士講が広まり、集団での登拝が行われるようになりました。

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