富士山に関わる人物

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北斎と富士山

北斎は江戸の風景をかくとき、遠くに富士山を小さくかいていました。北斎は、富士をかくうちに、一つのものが見る位置によって、様々に変わること、つまり、場所を少し変えるだけで、平ぼんをあたえるという構図のふしぎを知ったのでした。そして、いつか、富士山をテーマにして富士のある風景のシリーズをかいてみたいとおもうようになりました。  

木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)

オオヤマヅミ神の娘。天孫ニニギ命と結ばれてホデリ・ホスセリ・ホオリを産みました。姉は、ブサイクで、じょうぶなイワナガヒメ神。燃やした小屋で出産したことから火の神ともされ、古代では、バリバリの活火山だった富士山の浅間神社の祭祀でもあります。花とその儚さを体現した美しい神。父のオオヤマヅミ神が酒を造ったことから酒造の神としていっしょにまつられることもあります。

 

天照大神

伊邪那岐命(イザナキノミコト)と妻・伊邪那美命(イザナミノミコト)が協力して、淡路、四国から始まりやがて本州と国を作っていき、海の神や風の神、木の神、山の神などイザナキと協力してあらゆる神を生んだ妻・イザナミが、最後に火の神である迦具土神(カグツチノカミ)を産んだことでやけどを負って死んでしまった。イザナギは、死者の国である黄泉の国に妻を送っていき、そこでけがれを受けてしまう。黄泉の国から帰ってきたイザナギは、体を清めようと「筑紫の日向のの小問の阿波岐原」でをしたのだった。左目を洗ったときアマテラスが生まれ、右目を洗った時ツクヨミのミコトが生まれ鼻を洗った時、スサノオのミコトが生まれ三柱の貴い子が生まれたことをとてもよろこんだイザナギは、アマテラスにたかまがはらをツクヨミは夜の国、スサノオには海原を委ねた。

富士講

古来、富士山は火を司る神霊の宿る山として崇められてきた「遥拝の山」でしたが、鎌倉時代には古来、富士山、山岡主権者や庶民の富士信仰が結びついて、入山しゅぎょうを行うようになりました。富士講の開祖といわれる長谷川角行は九州長崎の人で富士の人穴で千日間立ち行の末にさとりを開いたといわれている。さらに数々の難行苦行を行い、庶民の信仰を一身に集めました。そして富士山登山百数十回や断食300日などの苦行を成しとげました。100才の時、人穴で入じゃくしたと伝えられています。