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2022年5月30日 更新 印刷用ページ印刷用ページを開く
県指定文化財
市内にある県指定文化財11件をご紹介します。

上中丸遺跡埋納遺構出土品一括

種別:有形文化財(考古資料)
名称:かみなかまるいせきまいのういこうしゅつどひんいっかつ
指定年月日:平成30年3月1日
所在地:富士吉田市上吉田東7-27-1 ふじさんミュージアム(富士吉田市歴史民俗博物館)
所有者:富士吉田市

 この出土品は、約4,500年前の縄文時代に、当時の道具類が地下に埋納されたものです。市内の小明見にある上中丸遺跡で平成19年(2007)に発見されました。地下に埋められていたものは、注口土器(注ぎ口がついた鉢)に黒曜石1点及び磨製石斧8点を納めたものであり、埋められた穴の上には石で蓋がされていました。本遺跡と同じく注口土器に黒曜石と磨製石斧を収納して埋納した事例は、埼玉県小鹿野町の塚越向山(つかごしむこうやま)遺跡の「塚越向山遺跡出土注口土器及び収納石器(埼玉県指定文化財)」のみで、本資料が全国で2例目です。両遺跡とも、使用可能な石斧と黒曜石を埋めたものであり、集落を移転する際に埋納した可能性があります。本事例は、縄文文化を解き明かす上での糸口となるものであり、県下はもとより全国的に見ても極めて貴重な事例です。
 現在、ふじさんミュージアムで一般公開しています。

旧宮下家住宅

ゅうみやしたけじゅうたく

種別:有形文化財(建造物)
名称:きゅうみやしたけじゅうたく
指定年月日:昭和58年12月7日
所在地:富士吉田市上吉田東7-27-1 ふじさんミュージアム(富士吉田市歴史民俗博物館)
所有者:富士吉田市

 旧所在地は市内小明見で、平成2年に市歴史民俗博物館に移築復原しました。面積は約36坪(118.8㎡)、木造平屋建、茅葺入母屋造の民家で、建築年代は、間取りの形式や外回りの閉鎖的な構え、低く密に立つ柱の配置、梁組と構法などから、18世紀初頭か、それをやや遡るころと推定されています。
 現在、ふじさんミュージアムで一般公開しています。

木造釈迦如来立像

もくぞうしゃかにょらいりゅうぞう

種別:有形文化財(彫刻)
名称:もくぞうしゃかにょらいりゅうぞう
指定年月日:昭和39年11月19日
所在地:富士吉田市上吉田7-7-1
所有者:西念寺

 西念寺は行基の開創と伝わる古寺で、永仁6年(1298)、遊行二祖の他阿真教が甲斐教化の際に滞在して念仏の教えを広めたことで時宗に改めたといいます。本像は、富士山一合五勺にあった西念寺塔頭の定禅院の本尊であったとされます。また、富士山頂の薬師如来を勧請したとの伝承もあり、安政2年(1855)に奉納された篇額に「八葉峰中薬師如来」とあるのもそのことに由来します。
 本像の構造は、内刳りのある桧材の寄木造で、玉眼を嵌入、眉間の白毫は金属製で、像高は80cmあります。現在は宝珠を持ち、薬師如来の印相を結びますが、手や持物は後に改変されたもので、造立当初は釈迦像でした。縄状に巻いた頭髪、通肩にまとい頸を中心とした同心円状の衣文を表す衣、三段にまとめた裾など清涼寺式釈迦像の特色をそなえています。
 この清涼寺式釈迦像は、中国(宋)に渡った東大寺の僧奝然が永延元年(987)の帰国にあたって持ち帰った京都市清涼寺の像の模刻で、鎌倉時代に大流行しました。眦鋭く、やや厳しい相貌、細身ですらりとした造形は若々しさを感じ、鎌倉時代の秀作の名にはじません。

銅造如来形立像 附延享四年状1通

どうぞうにょらいぎょうりゅうぞう

種別:有形文化財(彫刻)
名称:どうぞうにょらいぎょうりゅうぞう つけたりえんきょうよねんじょういっつう
指定年月日:平成5年11月29日
所在地:富士吉田市上吉田38
所有者:上行寺

 本像は、銅製で台座から高さ12.8㎝、像の高さ9㎝の小型の金銅仏で、現状では台座の一部に鍍金が認められるだけです。衣が両肩にかかり、右手を上に左手を下にし、目は伏せ、鼻や唇は小さく頬はふっくらしています。これらの特徴から、古代朝鮮の新羅時代、すなわち8世紀初めの作と推定されています。江戸時代には、富士山吉田口登山道の五合五勺の経ヶ岳に安置されていました。

不動明王像御正体

ふどうみょうおうぞうみしょうたい

種別:有形文化財(工芸)
名称:ふどうみょうおうぞうみしょうたい
指定年月日:平成27年2月5日
所在地:富士吉田市上吉田東7-27-1 ふじさんミュージアム(富士吉田市歴史民俗博物館)
所有者:富士吉田市

 この不動明王像御正体(懸仏)は、昭和60年に富士山八合目で発見されました。昭和61年8月1日に市指定文化財に指定、平成27年2月5日に歴史的価値等を評価され県指定となりました。
 造りは青銅製で径31.5cm、中央には台座に座る8㎝程の不動明王が鋳出され、その周囲に次のように銘が刻まれています。
 「八躰内・総州菅生庄木佐良津郷 大工和泉守光吉 旦那内匠助泉重 文明十四年壬寅六月日本願源春」
 この銘文により、この御正体は、文明14年(1482)に総州(千葉県)の木更津の源春という人物が富士山に8面奉納したうちの1面であることがわかります。なお、光吉は上総国の鋳物師で、中世以降、現在の木更津市を本拠として江戸時代末まで活動した鋳物師の大野氏の一員とみられます。また、本御正体と尊像は異なりますが、形式、寸法、銘、願主、鋳物師などがほぼ同じである虚空蔵菩薩御正体が、昭和53年(1978)に富士山頂上の三島ヶ岳付近で発見されています。両面とも「八躰内」とあることから、富士山頂上を密教の世界観による曼荼羅の中台八葉院とみなす信仰に基づき、御正体が八面製作され、富士山の8ヶ所に奉納されたと考えられ、残りの6面もいずれ発見される可能性があります。このように、本資料は中世の富士山信仰を知る上で、極めて貴重なものです。
 現在、ふじさんミュージアムで一般公開しています。

刀 大磨上 無銘 伝山城国来国真

種別:有形文化財(工芸品)
名称:かたな おおすりあげ むめい でんやましろのくにらいくにざね
指定年月日:昭和45年12月23日
所在地:富士吉田市
所有者:個人


 「来(らい)鍛冶」は、京都山城国西ヶ岡に住し、質実剛健の気風を製作面に反映する鍛刀術に優れ、公卿や朝廷護衛の武士に好まれ隆盛を極めました。また鎌倉幕府の御用鍛冶もつとめ、代々名工が続き、一門は大いに繁栄しました。この刀は、鎌倉時代、来国真の手になるものと伝えられ、一門を代表する重要な刀となっています。

西方寺弥陀種子板碑 附西方寺弥陀種子板碑一基

さいほうじみだしゅじいたび

種別:有形文化財(考古資料)
名称:さいほうじみだしゅじいたび つけたりさいほうじみだしゅじいたびいっき
指定年月日:昭和62年12月2日
所在地:富士吉田市小明見2-18-27
所有者:西方寺

 板碑は一種の卒塔婆で、鎌倉中期から江戸時代にかけて、供養塔として盛んに造立されました。西方寺の板碑は2基あり、弥陀種子が彫られています。大きい方は鎌倉時代の弘長元年(1261)に作られたもので、高さ91㎝、緑泥片岩製。小さい方は、高さ43.5㎝で玢岩でできており、延文6年(1361)の銘があります。2基とも、市内向原(むかいばら)地区の東方にある西方寺旧地の土中にうもれていましたが、大正12年(1923)の関東大震災の土砂崩れによって発見されたものです

藍染資料

あいぞめしりょう

種別:有形民俗文化財
名称:あいぞめしりょう
指定年月日:昭和39年2月20日
所在地:富士吉田市上吉田4415
所有者:個人

 江戸中期から木綿が普及し藍染めが発達するにつれ、専門の紺屋が出現し隆盛を極めました。近代になり、化学染料の普及で天然藍が消滅に近い状態の中、当時の工場、用具の他、藍甕41個、藍玉3俵、型紙638枚、掛軸2幅、看板2枚、染物組合問屋の印1個、関係古文書1冊と、多くの貴重な資料が保存されています。

北口本宮冨士浅間神社太々神楽

きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃのだいだいかぐら

種別:無形民俗文化財
名称:きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃだいだいかぐら
指定年月日:平成4年6月22日
所在地:富士吉田市上吉田5558
保持団体:北口本宮冨士浅間神社神楽講

 「太々神楽」は、古くは富士山御師によって継承されていましたが、明治中期、地元崇敬者で組織する神楽講に受け継がれています。内容は、榊の舞、神巫の舞、四方拝の舞、猿田彦の神の舞、鈿女の神の舞、手力男の神の舞、天照皇大神の舞、綿津美の神の舞、稲荷大神の舞、片剣の舞、両剣の舞、蟇目の舞の十二座です。

下吉田の流鏑馬祭

種別:無形民俗文化財
名称:ふしもよしだのやぶさめまつり
指定年月日:平成29年9月7日
所在地:富士吉田市下吉田3-32-18
保持団体:下吉田の流鏑馬保存会

流鏑馬は、古くは富士登山道の馬返付近のリュウガ馬場で勝山・下吉田の氏子が奉納したのが始まりといわれています。流鏑馬の奉仕者には、古来より1年を通じ厳しい物忌の掟があり、さらに9月19日の祭の前7日間は別火精進の生活をします。この流鏑馬の特徴は、馬の走った蹄の跡を占人が見て町の吉凶を占うところにあります。

冨士浅間神社の大スギ

種別:天然記念物
名称:ふじせんげんじんじゃのおおすぎ
指定年月日:昭和33年6月19日
所在地:富士吉田市上吉田5558
所有者:北口本宮冨士浅間神社

 北口本宮冨士浅間神社の拝殿前向かって左側に立っており、推定樹齢は約千年です。古代に神霊を招く聖域として、四隅に樹木を植えたものといわれています。同神社の神木として現存する3本のうちの1本です。本樹は、根廻り21m、幹根境の周囲12.7m、目通り幹囲8m、樹高30mで、幹は地上約10mから二支に分かれています。

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歴史文化課
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