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2023年7月13日 更新 印刷用ページ印刷用ページを開く
国指定文化財
市内にある国指定文化財16件、国指定文化財構成要素2件をご紹介します。

北口本宮冨士浅間神社本殿

きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃほんでん

種別:重要文化財(建造物)
名称:きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃほんでん
指定年月日:昭和28年3月31日
所在地:富士吉田市上吉田5558
所有者:北口本宮冨士浅間神社

 本殿は元和元年(1615)都留郡の領主鳥居土佐守成次によって建立されました。桁行一間、梁間二間の入母屋造りの建物を身舎とし、その前面に唐破風造りの向拝一間をつけています。桃山時代の装飾的技法とともに、すぐれた意匠が表現されています。本社は富士山吉田口登山道の起点で、富士山信仰と密接な関係を持ちながら発展しました。

北口本宮冨士浅間神社の位置

北口本宮冨士浅間神社東宮本殿

きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃひがしのみやほんでん

種別:重要文化財(建造物)
名称:きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃひがしのみやほんでん
指定年月日:明治40年8月28日
所在地:富士吉田市上吉田5558
所有者:北口本宮冨士浅間神社

 本社本殿の東に北面し、富士権現とも呼ばれてきました。貞応2年(1223)北条義時が浅間本社として創建したと伝えられ、現在の社殿は永禄4年(1561)武田信玄が川中島の戦いの戦勝を祈願して、浅間本社として新たに造営したものです。桁行一間、梁間一間の身舎の前面に一間の向拝をつけた一間社流造の形式です。

北口本宮冨士浅間神社西宮本殿

きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃにしのみやほんでん

種別:重要文化財(建造物)
名称:きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃにしのみやほんでん
指定年月日:昭和28年3月31日
所在地:富士吉田市上吉田5558
所有者:北口本宮冨士浅間神社

 本社本殿の西に北面して建っています。現在の社殿は、文禄3年(1594)都留郡の領主浅野左衛門佐氏重が本社として建立したものです。桁行一間、梁間二間の身舎の前面に一間の向拝をつけた一間社流造りの形式となっています。唐草文の彫刻や飾金具など、その装飾意匠は、桃山時代の特色をよく表現しています。

北口本宮冨士浅間神社(拝殿及び幣殿 附灯籠1基)

きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ はいでんおよびへいでん

種別:有形文化財(建造物)
名称:きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ はいでんおよびへいでん つけたりとうろういっき
指定年月日:平成29年11月28日
所在地:富士吉田市上吉田5558
所有者:北口本宮冨士浅間神社

 本殿の前面に付属する建物として、元和元年(1615)に鳥居成次によって本殿とともに造営されました。慶安2年(1649)には秋元冨朝によって本殿とともに修復が加えられました。その後、元文4年(1739)に村上光清を中心とした富士講中によって造営されたのが、現在の社殿です。

北口本宮冨士浅間神社(惠毘壽社及び透塀)

きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ えびすしゃおよびすきべい

種別:重要文化財(建造物)
名称:きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ えびすしゃおよびすきべい
指定年月日:平成29年11月28日
所在地:富士吉田市上吉田5558
所有者:北口本宮冨士浅間神社

 惠毘壽社は本殿の裏手にあり、惠毘壽(事代主神)と大黒天(大国主神)の神像を祀ります。惠毘壽社の両側からは透塀が延び、幣殿へと接続します。透塀は墨書から宝暦3年(1753)の造営とわかり、惠毘壽社は同時期かやや下る頃の造営とみられます。

北口本宮冨士浅間神社(神楽殿)

きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ かぐらでん

種別:有形文化財(建造物)
名称:きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ かぐらでん
指定年月日:平成29年11月28日
所在地:富士吉田市上吉田5558 
所有者:北口本宮冨士浅間神社

 神楽殿は、本殿の正面に位置し、本殿に向かって神楽を奉納することになります。元文元年(1737)に村上光清を中心とした富士講中による境内建物大修理の一環で建立されたものです。富士山御師により継承されてきた太々神楽が奉納される舞台であり、現在でも神社の祭礼には地元の神楽講により太々神楽が奉納されています。

北口本宮冨士浅間神社(手水舎 附棟札一枚)

きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ てみずしゃ

種別:有形文化財(建造物)
名称:きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ てみずしゃ つけたりむなふだいちまい
指定年月日:平成29年11月28日
所在地:富士吉田市上吉田5558 
所有者:北口本宮冨士浅間神社

 延享2年(1745)に建立されました。本殿、東宮、西宮と並ぶ彫刻類の多さや、富士山の溶岩から削り出された巨大な水盤石と四本の柱など、村上光清らによる大修理に相応しい作りです。水盤石に立つ青銅の龍の口からは、富士信仰の霊場である富士八海の一つ、泉水から引き込んだ霊水が、現在も絶え間なく溢れ出ています。

北口本宮冨士浅間神社(社務所 附棟札一枚)

きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ しゃむしょ

種別:有形文化財(建造物)
名称:きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ しゃむしょ つけたりむなふだいちまい
指定年月日:平成29年11月28日
所在地:富士吉田市上吉田5558 
所有者:北口本宮冨士浅間神社

 寛保元年(1741)の建立です。唐破風の玄関が神社建築らしさを表すことを除いて、素朴な建物です。一部改造はありますが、間取りは市内に所在する御師住宅と類似しており、この流れの建物と考えられます。文献では「斎浄所」、「清浄所」、「御供所」等とあり、時代によって区々の呼称が用いられていました。現在は、社務所となっています。

北口本宮冨士浅間神社(隨神門 附棟札一枚)

きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ ずいしんもん

種別:有形文化財(建造物)
名称:きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ ずいしんもん つけたりむなふだいちまい
指定年月日:平成29年11月28日
所在地:富士吉田市上吉田5558 
所有者:北口本宮冨士浅間神社

 元文元年(1736)の建立です。永正17年(1520)の銘のある随神像が存在することなどから、村上光清らにより新たに再建されたものであることがわかります。彫刻意匠が多く装飾性に富んだ建物で、屋根裏天井により演出される広がりのある空間と太い柱は参詣者に豪壮な雰囲気を与え、当社の入口を飾るに相応しい門です。

北口本宮冨士浅間神社(福地八幡社 附棟札二枚)

きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ ふくちはちまんしゃ

種別:有形文化財(建造物)
名称:きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ ふくちはちまんしゃ つけたりむなふだにまい
指定年月日:平成29年11月28日
所在地:富士吉田市上吉田5558 
所有者:北口本宮冨士浅間神社

 貞享元年(1684)に建立された後、元文5年(1740)に村上光清らが新たに造営したものです。元文期の建立は、その規模や構造の類似から東宮本殿をモデルとして行われたようです。身舎の木鼻などは貞享期の特徴をもつため、古材を再用した可能性があります。

北口本宮冨士浅間神社(諏訪神社拝殿)

きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃせっしゃ すわじんじゃはいでん

種別:有形文化財(建造物)
名称:きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃせっしゃ すわじんじゃはいでん
指定年月日:平成29年11月28日
所在地:富士吉田市上吉田5558 
所有者:北口本宮冨士浅間神社

 諏訪神社本殿は昭和2年に焼失し、同51年に再建されました。本殿は元文元年(1736)に村上光清らにより建立されたとの棟札がありますが、拝殿については明確な記録がありません。ただ、建築様式は元文期前後のものであり、村上光清の大修理時における建立と考えられます。なお、諏訪神社は浅間神社創建以前からこの地に祀られていた歴史があります。

小佐野家住宅主屋・蔵 附家相図一枚

おさのけじゅうたく

種別:重要文化財(建造物)
名称:おさのけじゅうたくおもや・くら つけたりかそうずいちまい
指定年月日:昭和51年5月20日
所在地:富士吉田市上吉田7-11-1
所有者:個人

 御師(おし)は、富士講信者が登山を行うのにあたり、宿屋や食事を提供するなど一切の世話をするとともに、富士信仰の布教活動と祈祷を行いました。小佐野家は、代々富士山の御師(おし)を勤めてきた家です。この御師住宅は、文久元年(1861)頃に再建され、富士講最盛期における平面構成を現在に伝える貴重な事例です。主屋は一部二階切妻造り、座敷部の前面に台所部を、背面に神殿部を接続した形式です。
 現在、個人の住宅となっており、敷地及び建造物は一般公開されていません。ふじさんミュージアムのエリア内において模造復元住宅を見ることができます。

旧外川家住宅 主屋・離座敷・中門 附物置一棟・家作萬覚帳一冊・家相図一枚

きゅうとがわけじゅうたく

種別:重要文化財(建造物)
名称:きゅうとがわけじゅうたく おもや・はなれざしき・なかもん つけたりものおきいっとう・かさくよろずおぼえちょういっさつ・かそうずいちまい
指定年月日:平成23年6月20日
所在地:富士吉田市上吉田3-14-8
所有者:富士吉田市

 御師(おし)は、富士講信者が登山を行うのにあたり、宿屋や食事を提供するなど一切の世話をするとともに、富士信仰の布教活動と祈祷を行いました。外川家(とがわけ)は代々富士山の御師を勤めてきた家です。明和5年(1768)に建築された主屋は保存状態が良好で、当初部材の大半が残されています。離座敷は江戸時代後期の建築で、主屋にあった御神前や宿泊機能を移して一体化させ、主屋から独立させたものです。旧外川家住宅は御師家の生活の変遷を知る上で貴重な指標となる建造物です。
 2008年4月から敷地及び建造物の内部を一般公開しており、来訪者が御師の活動について学ぶことができるように外川家協力員が解説を行っています。

太刀 銘 表 備州長船経家 文安二年二月日 附糸巻太刀拵

たち びしゅうおさふねつねいえ

種別:重要文化財(工芸品)
名称:たち めい おもて びしゅうおさふねつねいえ ぶんあんにねんにがつひ つけたりいとまきたちこしらえ
指定年月日:大正12年3月28日
所在地:富士吉田市上吉田5558
所有者:北口本宮冨士浅間神社

 備前には応永備前といわれる一団の刀工があり、当時活躍した名工、長船経家の作刀で、応永よりやや下った文安2年(1445)の作です。この太刀は、延宝8年(1680)の富士山庚申御縁年に都留郡の領主である秋元喬知から北口本宮冨士浅間神社に奉納されたものです。

紙本墨書仁王経疏巻上本円測撰

しほんぼくしょにんのうきょうしょまきのじょうほんえんそくせん

種別:重要文化財(書跡)
名称:しほんぼくしょにんのうきょうしょまきのじょうほんえんじきせん
指定年月日:昭和11年5月6日
所在地:富士吉田市
所有者:個人

 唐の玄奘三蔵の弟子円測(613~696)が仁王経に詳しい注釈を加えたもので、全六巻からなっている最初の一巻が巻上本である。仁王経は護国三部経として、また国家鎮護、災障消滅の経典として尊重され、写経生によって全国に流布された。本書は奈良時代に写経されたものである。

吉田の火祭

よしだのひまつり

種別:重要無形民俗文化財
名称:よしだのひまつり
指定年月日:平成24年3月8日
所在地:富士吉田市上吉田
保持団体:吉田の火祭保存会

概要 吉田の火祭は、上吉田の北口本宮冨士浅間神社とその摂社である諏訪神社の祭りで、毎年8月26、27日に行われます。7月1日の富士山の山開きに対し、夏山登山の終わりを告げる祭りです。元々は、上吉田村の氏神であった諏訪神社の例祭であったとされますが、富士信仰が盛んになるにつれて、浅間神社の社域が拡大して諏訪神社を取り込み、現在は両社の祭りとして伝承されています。正式には、鎮火大祭といいます。

起源 火祭が伝承される上吉田は、富士山に登る人たちに宿坊を提供し、信仰の仲立ちをした御師たちが集住する町です。元亀3年(1572)にこの上吉田の町割を決めたときの記録に、神輿を上吉田の御旅所へ迎える際の道である「御幸路」の記載があることから、祭りの始まりは、これより以前と考えられています。松明の起源は不明ですが、18世紀前半には、諏訪神社の神主家に設営される御旅所の入口へ2本の松明を建てたことが分かっています。

松明 火祭に用いられる松明は、大小の2種類があります。大きい松明は、松明・結松明・大松明などと称し、高さが約3m、下部の直径が約1mの円筒形のもので、上吉田コミュニティセンターに設けられた御旅所と表通りに立てられます。かつては、御師や富士講によって奉納されていましたが、現在は地域の民間企業などが主な奉納者です。小さい松明は、松明・井桁松明と称し、各家が、その門前へアカマツの薪を井桁状にして高さ1.5mほど積み上げます。

祭の進行 初日の26日には、諏訪神社の神輿(明神神輿)と御山さんあるいは御影と呼ばれる富士山をかたどった神輿(御山神輿)が御旅所まで巡行します。巡行の際には、御山神輿は明神神輿を決して追い越してはならないとされています。2つの神輿が御旅所に収められると、通りに大松明が立てられ、世話人によって次々と点火されます。一方、沿道の家々でも井桁松明に火を灯し、富士山の山小屋でも篝火が焚かれ、山と町とが一体となっての火祭となります。富士講の人たちは御師の宿坊の前で、燃えさかる松明を取り囲んで、お伝えとよばれる教典を唱えます。翌日の27日は、御旅所から2つの神輿が諏訪神社の故地とされる御鞍石を経由して神社へ還御し、境内の高天原を巡って祭りは終了となります。


吉田口の富士山信仰用具

よしだぐちのふじさんしんこうようぐ

種別:重要有形民俗文化財
名称:よしだぐちのふじさんしんこうようぐ
指定年月日:令和4年3月23日
所在地:富士吉田市上吉田東7-27-1 ふじさんミュージアム(富士吉田市歴史民俗博物館)
所有者:富士吉田市

 吉田口の富士山信仰用具は、4,039点の資料からなります。これらは、各資料を大切に守り継いできた市民の皆さまなど多くの所蔵者から、1979年に富士吉田市郷土館として開館したふじさんミュージアムへと寄贈いただいてきたものです。
 本件は、富士山北側の登山口である「吉田口」に伝来した富士山信仰の用具です。秀麗な山岳を神聖視する民間信仰は、日本の各地にみられますが、富士山を御神体として崇敬する富士山信仰は、その歴史も古く、我が国の山岳信仰の典型的なものです。吉田口は、近世中期以降、富士登拝(とうはい)を目的とする富士講が江戸を中心に関東地方で盛んになると多くの参詣者を集め、富士山信仰の一大拠点として栄えました。本収集は、登拝者の世話をした御師(おし)や各地の富士講から寄贈されたものが多く、御師の祭祀用具をはじめ、宿坊や山小屋で使われた用具、富士講の奉納物などから構成されます。また、富士講中興の祖といわれる食行身禄(じきぎょうみろく)の関連資料も含まれます。
 これらの資料は、富士講をはじめとする信仰する側と、御師を中心とする信仰を広め、受け入れた側の用具が一体的にみられ、吉田口における富士登拝や信仰の実態をよく示すものであり、富士山の北麓における富士山信仰の地域的な様相や我が国における山岳信仰の変遷を考える上で重要です。
 主な資料は、ふじさんミュージアム総合展示室で展示公開しています。



重要有形民俗文化財「吉田口の富士山信仰用具」構成資料 食行身禄の御身抜及び行衣・野袴

じきぎょうみろくのおみぬきおよびぎょうい・のばかま

種別:重要有形民俗文化財「吉田口の富士山信仰用具」構成資料
名称:じきぎょうみろくのおみぬきおよびぎょうい・のばかま
指定年月日:令和4年3月23日
所在地:富士吉田市上吉田東7-27-1 ふじさんミュージアム(富士吉田市歴史民俗博物館)
所有者:富士吉田市

 食行身禄は、寛文11年(1671)伊勢国に生まれ、17歳で富士行者になり、享保18年(1733)に、人々の苦しみを救うことを目的に、富士山北口七合目の烏帽子岩において、断食修行31日の後入滅しました。御身抜は食行身禄の信仰を表現した文言を記したものです。行衣・野袴は、身禄が富士登拝の際に着用したものです。
 現在、ふじさんミュージアムで一般公開しています。

特別名勝 富士山

ふじさん

種別:特別名勝
名称:ふじさん
指定年月日:昭和27年11月22日
所在地:富士吉田市、山中湖村、富士河口湖町、鳴沢村、忍野村
所有者:山梨県・静岡県

 富士山は、日本を代表する名山として世界的に広く知られています。基底の直径は35~40kmで、標高は約3,776mの高さに達し、典型的なコニーデ型の外観を示しています。日本の最高峰というだけではなく、コニーデ型火山独特の雄大な裾野や均整のとれた山容、豊かな自然等により特別名勝に指定されています

史跡 富士山

ふじさん

種別:史跡
名称:ふじさん
指定年月日:平成23年2月7日
所在地:八合目以上、富士河口湖町、富士吉田市、静岡県富士宮市、裾野市、小山町
所有者:山梨県・静岡県

 富士山(標高3,776m)は山梨県と静岡県の境界に聳える我が国最高峰の火山で、我が国を代表する信仰の山です。『万葉集』には日本の鎮めの神と歌われています。奈良時代から平安時代にかけて噴火の記録を残し、浅間大神として神階奉授を繰り返しました。久安5年(1149)に駿河国の末代上人が富士山頂に大日寺を建立して以後、修験と結びついた宗教者による登拝が展開していきました。仏教と習合し、浅間大菩薩とも称され、その本地は大日如来とされます。戦国時代に一般信者の登拝へと発展し、江戸時代には富士講による登拝の隆盛期を迎え、登拝道や宿泊施設が整えられ、祈祷を行うとともに富士参詣の仲立ちを行う御師やその宿坊が発達しました。明治の神仏分離令により、山体から本地仏等の仏教色が排除され、鉄道の発達等により、登拝道や御師集落の盛衰がもたらされてきました。
 このように、我が国の古代から近代(現代)に至る山岳信仰のあり方を考える上で重要であることから、信仰の核心をなす富士山八合目以上の山頂部と各社寺、及び登拝道が文化財に指定されています。

史跡「富士山」構成要素 角行の立行石

かくぎょうのたちぎょういし

種別:史跡「富士山」構成要素
名称:かくぎょうのたちぎょういし
指定年月日:平成23年2月7日
所在地:富士吉田市上吉田5558
所有者:北口本宮冨士浅間神社

 この立行石は、慶長15年(1610)の冬、富士講の開祖角行東覚(当時69歳)が吉田の地を訪れ、富士山霊を遥拝し、酷寒の中を裸身にて、石上に爪立ちして30日の荒行をした石とされ、全身より血を噴き、里人の勧めで行を止めたと伝えられています。
 角行は本名を藤原武邦といい天文10年(1541)正月15日、九州長崎で生まれました。戦国の世にあって天下泰平・国土安穏・衆生済度の大願を、成就すべく難行苦行の道に入りました。
 永禄2年、18歳で故郷を出で立ち岩手県盤井郡の脱骨(たっこく)の窟(いわや)(達谷窟)で37日の行をなし、のち神告により富士の人穴に入り、4寸5分角(約14cm四方)の材木に1,000日爪立ちするという捨身の荒行をおえ、解脱し角行と称します。
 元和6年(1620)角行79歳の時、江戸に「つきたおし」という奇病がはやり、3日で1,000人死んだとも言われますが、「ふせぎ」により病を癒し庶民を救い、その名を高めます。
 正保3年(1646)6月3日、106歳にて大往生しましたが、生涯における修行で主なものは不眠の大業18,800日、立行3,000日、断食300日、造字360字、富士登頂128回に及んだといわれ、富士山信仰の開祖として尊崇を集めています。

史跡「富士山」構成要素 仁王門礎石

種別:史跡「富士山」構成要素
名称:におうもんそせき
指定年月日:平成23年2月7日
所在地:富士吉田市上吉田5558
所有者:北口本宮冨士浅間神社

 北口本宮冨士浅間神社境内には神仏混淆時代、三重塔・鐘楼・仁王門など、仏教色の濃い壮麗な堂塔があり、美事な調和をみせていました。明治初年、「神仏分離令」施行の際に撤去され、三重塔・鐘楼は失われて、現在その建っていた跡を確認することはできません。
 市内の下吉田の臨済宗寺院「月江寺」(げっこうじ)が護持してきた仁王門も取り払われましたが、幸いにして礎石はその難を逃れ、往古のままに現存して昔日の面影をしのばせています。なお、この仁王門の規模は、梁間1丈8尺(約5.5m)、軒高6間(約11m)という記録が残されています。
 神社と寺院の建物が共存していた神仏混淆時代の貴重な史跡です。

山ノ神のフジ

やまのかみのふじ

種別:天然記念物
名称:やまのかみのふじ
指定年月日:昭和3年1月31日
所在地:富士吉田市上暮地2114
所有者:山神社

 上暮地山ノ神社の境内にあり、種類は各地の山野に自生する「ノダフジ」で、2本が生育しています。社殿側にある株は、往時には根周り3.1mありましたが台風の被害にあい、その保護のためにフジ棚が整備されました。もう1本の株は、社殿の北側にあるイタヤカエデに巻きついています。
 ○開花時期は4月中旬から5月ころ 見ごろは5初旬から6月まで

吉田胎内樹型

よしだたいないじゅけい

種別:天然記念物
名称:よしだたいないじゅけい
指定年月日:昭和4年12月17日
所在地:富士吉田市上吉田字剣丸尾5590
所有者:山梨県
管理者:富士吉田市

 吉田胎内樹型は、承平7年(937)の富士山噴火で流出した剣丸尾第1溶岩流の東縁にあり、吉田口登山道中ノ茶屋の北西約1,300mに位置します。総数62基の樹型が分布しますが、中でも代表的樹型である「本穴」が、「吉田胎内」と呼ばれ、信仰の対象とされてきました。本穴は、長さ14.5mある1本の横穴と3本の縦位の樹型から構成されます。横穴には、樹木の木肌が明瞭に保存され、天井には滴状に垂れ下がる溶岩鍾乳石があり、壁面は肋骨状を呈するとともに、底面には溶岩石筍がみられます。
 明治25年(1892)に埼玉県入間郡宗岡(現、志木市)の富士講の先達である星野勘蔵により発見され、巡礼の場となりました。なお、保護のため入口には扉を設置して施錠し、4月29日の祭礼の時のみ一般公開しています。その日以外に見学をご希望の際は、富士吉田市歴史民俗博物館(0555-24-2411)までご連絡ください。

雁ノ穴

がんのあな

種別:天然記念物
名称:がんのあな
指定年月日:昭和7年10月19日
所在地:富士吉田市上吉田字雁ノ穴5605
所有者:富士吉田市外二ヶ村恩賜県有財産保護組合

 富士山の雁ノ穴丸尾にあります。雁ノ穴は、崩れ穴および流れ穴と称する2個の溶岩洞穴と、16個の溶岩樹型群の総称です。雁ノ穴丸尾は、噴出の際に多量のガスを発散させたため、溶岩が多孔質で軽く、また井戸状の竪穴が多いなど、他の溶岩洞穴にはない特色を示しています。

※ 雁ノ穴の所在地は陸上自衛隊の演習地内であることから、毎週末に富士吉田市の防災無線でお知らせしている立ち入り日(おもに日曜日)以外は、通常は立ち入る事はできません。また、竪穴の樹型も多く、不用意に近づくことは危険が伴うので、天候の確認や十分な装備が必要です。
 雁ノ穴へ行く道は、富士見公園前の信号を富士山方向に曲がり、富士吉田市立看護専門学校沿いに進む市道農場線をご利用ください。演習場の立ち入り日には東富士五湖道路の高架下の演習場入口フェンスが開放されるので、そのまま800mほど進むと右手に案内表示があります。なお、演習場に入るその他の道は大変危険ですので利用しないでください。

躑躅原レンゲツツジ及びフジザクラ群落

つつじがはられんげつつじおよびふじざくらぐんらく

種別:天然記念物
名称:つつじがはられんげつつじおよびふじざくらぐんらく
指定年月日:昭和3年3月3日
所在地:富士吉田市上吉田字鈴原下5603
所有者:山梨県

 吉田口登山道の中ノ茶屋から大石茶屋にかけて、レンゲツツジとフジザクラの混生群落が広がっています。面積は約33,000㎡です。レンゲツツジは背が低く、多数の枝を出して株をつくり、大型の花をつけます。富士吉田市の市花であるフジザクラは一名マメザクラとも呼び、潅木性のサクラで、花は小さく、下向きに咲きます。
 ○レンゲツツジの開花時期は5月下旬 見ごろは5月末から6月初旬まで
 ○フジザクラの開花時期は4月下旬 見ごろは4月末から5月初旬まで

掲載内容に関するお問い合わせはこちら
歴史文化課
住所:403-0032 山梨県富士吉田市上吉田東7-27-1
TEL:0555-24-2411
FAX:0555-24-4665
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富士吉田市教育委員会

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