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2020年2月14日 更新 印刷用ページ印刷用ページを開く
市指定有形文化財(建造物)
市内にある市指定有形文化財(建造物)6件をご紹介します。

正福寺の本堂

種別:有形文化財(建造物)
名称:しょうふくじのほんどう
指定年月日:昭和41年11月1日
所在地:富士吉田市浅間1-5-38
所有者:正福寺

 当寺は、大同年間(806~810)に創建されたといわれ、本堂を現在地に建立したのは第16代住職の西圓です。難波の大工を棟梁として招き、慶長末年に起工、6年の歳月をついやし元和6年(1620)に完成しました。その後、享保6年(1721)に改修されています。規模は十間四面で、千鳥破風入母屋造の堂々たる寺院建築です。

正福寺の経堂・八角輪転蔵

種別:有形文化財(建造物)
名称:しょうふくじのきょうどう・はっかくりんてんぞう
指定年月日:昭和41年11月1日
所在地:浅間1-5-38
所有者:正福寺

 経堂は、明和年間(1764~72)、第20代住職圓識の代に建立されました。四間四面の土蔵造りで、昭和56年に修復されています。内部には寛政6年(1794)作の華麗な八角輪転蔵(回転するお経を納める八面のたんす)をそなえています。八角輪転蔵の中央には阿弥陀三尊を安置し、中には鉄眼の一切経、黄檗慈経五千七百巻を納めています。

大正寺の鐘楼

だいしょうじのしょうろう

種別:有形文化財(建造物)
名称:だいしょうじのしょうろう
指定年月日:昭和41年11月1日
所在地:富士吉田市浅間1-2-1
所有者:大正寺

 文化10年(1813)に第12代住職正観が建立したもので、規模は正面7.65m、奥行7.1m、高さ9.5mです。基礎は新倉産の石で積み上げられ、豪壮な外観からしても、当時の建築様式の粋を集めたものといえます。窓は木連格子、屋根は千鳥破風入母屋造で、内部には「大正寺常付物釈正欽」の梵鐘がつってあります。

福源寺の太子堂

ふくげんじのたいしどう

種別:有形文化財(建造物)
名称:ふくげんじのたいしどう
指定年月日:昭和41年11月1日
所在地:富士吉田市下吉田3-41-18
所有者:福源寺

聖徳山福源寺(浄土真宗本願寺派)の太子堂は、正式には六角太子堂という。この六角太子堂は、享保10年(1725)に中興の住職了仙が現在地に寺基を移転した際、現存の本堂、山門と共に造立されました。六角の寄棟で屋根は銅板葺、廻廊付で擬宝珠が高欄についています。また、天井には、雲龍図が描かれ、「狩野川幸山冨老信芃六十一歳書画」と銘があります。
堂内には聖徳太子立像(孝養像)が安置されています。この木像について、明和4年(1769)刊行『親鸞聖人御旧跡二十四輩参詣記』には宗祖親鸞聖人御作とも記されています。
享保10年、了仙が上洛した際、西本願寺第15代宗主の住如上人(1673~1739年)から「太子像があるなら、当然それをおさめる太子堂があるはず」と尋ねられました。了仙は、京都から早馬をかけさせ近在の棟梁を集め、3日3晩の工期をもって造らせ、本山からの使僧が検分に来る前に堂を完成させたとも伝えられています。
なお、福源寺には六角太子堂安置の聖徳太子立像とともに聖徳太子自画讃之尊像が伝わります。その昔、東国視察の聖徳太子が黒駒にみちびかれ、この吉田の地に到った際に、自画像三幅を描き、うち一幅をここに残したとされます。
現在、六角太子堂の聖徳太子立像は報恩講、彼岸会等の法要行事の際に公開されています。

農家(旧武藤家)

のうか きゅうむとうけ

種別:有形文化財(建造物)
名称:のうか(きゅうむとうけ)
指定年月日:昭和58年8月25日
所在地:富士吉田市上吉田東7-27-1 ふじさんミュージアム(富士吉田市歴史民俗博物館)
所有者:富士吉田市

 旧所在地は下吉田の東町で、現在は市歴史民俗博物館に移築復原されています。寛文から延宝(1661~81)の頃の建築と推定されています。建坪は約47坪です。幕末期に大きな改造があり、閉鎖的であった開口部を開放的な建具とし、屋根は養蚕を行うために兜造りに改造されました。また土間下手には馬屋が増築されています。
 現在、移設保存修理工事中のため、見学できません。

浅間坊表門

せんげんぼうおもてもん

種別:有形文化財(建造物)
名称:せんげんぼうおもてもん
指定年月日:平成27年2月24日
所在地:富士吉田市上吉田4-1-22
所有者:富士吉田市
※保存修理完了:平成28年3月25日

浅間坊は代々続いた御師の家筋です。浅間坊の名前は、元亀元年(1570)の「西念寺寺領仕置日記」にみることができます。ただし、上吉田の町割がおこなわれた元亀3年(1572)の「屋敷割帳」にその名を見ることができず、天正20年(1592)で初めて、上吉田の西町に居住していることを確認できます。
 浅間坊表門は、中雁丸表門や外川家中門と同様の規模をもつ薬医門ですが、それらと比べて豪奢な造りであり、斗栱(ときょう)・蟇股(かえるまた)や虹梁(こうりょう)・大瓶束(たいへいづか)の妻飾りなど社寺の様式をもつ点で、非常に貴重な事例となります。また、妻側に「丸不二(まるふじ)」の紋が装飾されており、東京や千葉で隆盛した「丸不二講」が浅間坊表門建立時に多大な貢献をしたことが分かり、御師と富士講との深い結びつきが分かります。
さらに、柱に打ち付けられた木札から、門の建立年代が寛政8~9年(1796~1797年)ころと判明しており、御師の門としては最古のものの1つであることが明らかとなっています。

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