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2020年2月14日 更新 印刷用ページ印刷用ページを開く
世界遺産「富士山」の構成資産
構成資産25件のうち、市内にある4件をご紹介します。

構成資産「富士山域」の構成要素「吉田口登山道」

構成資産富士山域の構成要素吉田口登山道

北口本宮冨士浅間神社を起点とし、富士山頂を目指す登山道。14世紀後半には参詣の道者のための宿坊も出来始め、大勢の人々が登るための設備が整うようになりました。富士講隆盛の礎を築いた食行身禄が、信者の登山本道をこの吉田口と定めたため、富士講の信者が次第に増加した18世紀後半以降は、最も多くの人々によって利用されています。

構成資産「富士山域」の構成要素「北口本宮冨士浅間神社」

構成資産富士山域の構成要素「北口本宮冨士浅間神社

 浅間大神が祀られていた遥拝所を起源とし、1480年には富士山の鳥居である大鳥居が建立され、16世紀半ばには浅間神社の社殿が整っていました。富士講とのつながりが強く、1730年代に富士講の指導者である村上光清(むらかみこうせい)の寄進によって建造物郡の修復工事が行われ、現在にみる境内の景観の礎が形成されました。

構成資産「御師住宅(旧外川家住宅)」

とがわけじゅうたくごしんぜん

 御師(おし)は、富士講信者が登山を行うのにあたり、宿屋や食事を提供するなど一切の世話をするとともに、富士信仰の布教活動と祈祷を行いました。外川家(とがわけ)は代々富士山の御師を勤めてきた家です。明和5年(1768)に建築された主屋は保存状態が良好で、当初部材の大半が残されています。離座敷は明治初期の建築で、主屋にあった御神前や宿泊機能を移して一体化させ、主屋から独立させたものです。旧外川家住宅は御師家の生活の変遷を知る上で貴重な指標となる建造物です。
 2008年4月から敷地及び建造物の内部を一般公開しており、来訪者が御師の活動について学ぶことができるように外川家協力員が解説を行っています。

構成資産「御師住宅(小佐野家住宅)」

小佐野家は、代々富士山の御師(おし)を勤めてきた家です。この御師住宅は、文久元年(1861)頃に再建され、富士講最盛期における平面構成を現在に伝える貴重な事例です。主屋は一部二階切妻造り、座敷部の前面に台所部を、背面に神殿部を接続した形式です。
 現在、個人の住宅となっており、敷地及び建造物は一般公開されていません。ふじさんミュージアム(富士吉田市歴史民俗博物館)において模造復元住宅を見ることができます。

構成資産「吉田胎内樹型」

 吉田胎内樹型は、承平7年(937)の富士山噴火で流出した剣丸尾第1溶岩流の東縁にあり、吉田口登山道中ノ茶屋の北西約1,300mに位置します。総数62基の樹型が分布しますが、中でも代表的樹型である「本穴」が、「吉田胎内」と呼ばれ、信仰の対象とされてきました。本穴は、長さ14.5mある1本の横穴と3本の縦位の樹型から構成されます。横穴には、樹木の木肌が明瞭に保存され、天井には滴状に垂れ下がる溶岩鍾乳石があり、壁面は肋骨状を呈するとともに、底面には溶岩石筍がみられます。
 明治25年(1892)に埼玉県入間郡宗岡(現、志木市)の富士講の先達である星野勘蔵により発見され、巡礼の場となりました。なお、保護のため入口には扉を設置して施錠し、4月29日の祭礼の時のみ一般公開しています。

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